第五回|オフグリッドがもたらす、新しいローカルのかたち
オフグリッドがもたらす、新しいローカルのかたち
最近は“夏にたくさん発電して余った分を売電し、冬になったら深夜電力を買って、通年で見れば±ゼロ”という住宅が増えています。太陽光発電そのものの意義はもちろん大いにありますが、太陽光発電“のみ”に頼るエコには思わぬ落とし穴が。
森:それでは電力会社との依存関係は変わっていない。冬は相変わらず化石エネルギーに依存しているし、売電するために契約アンペアを上げなくてはならないケースもあり、むしろパイプはより太くなっているんです。
日本では一般的に、エネルギーの自立=オフグリッドと思われています。でもその本質は、こうした巨大なシステムへの依存関係を断ち切り、自立する暮らし。震災後、その重要性と緊急性に多くの人が気づき始めている一方で、いまだに「そんな自分勝手なことして、無人島じゃあるまいし」などと批判されることもあるそう。
森:オフグリッドって「他人に迷惑をかけない」ということなんです。孤立したいわけじゃない。これまで何かにすがりついていた両手が空いていれば、誰かが困っているときにその手を差し伸べることもできるし、隣の人と手をつなぐこともできる。それが本当の意味で「自立している」ということだと思います。
さらに森さんは自立の先に、オフグリッドな住宅がつながる「新しいローカル」の可能性も開けるといいます。
森:たとえば、我が家は太陽光発電だけれど、お隣さんは風力発電を選んで、そのお隣はバイオマス発電を選んだ。そんな風に、さまざまな形の再生可能エネルギーを持つ家同士が隣り合っていれば、いざというときに助け合うことができます。
一蓮托生の共同体ではなく、それぞれが自立しているからこそ助け合えるという、新しいローカルのかたち。いずれは「スロービレッジ」でも、約2万坪ある敷地に20世帯ほどの集落をつくり、こうしたローカルなネットワークをつくることを想定しているそうです。
エネルギーシフトとパッシブハウス
電力会社との依存関係を断ち切り、自由を手に入れる。そのためには“毎日がまんして節電する”必要はなくて、“電気を使わなくても快適な家で暮らす”だけでいい。
お二人のお話を聞いていると、「ひょっとして電気を使わなくていい暮らしの方が、今より贅沢で快適なんじゃないか?」と思えてきます。
竹内:「エネルギーゼロ」の家は特別なことじゃない。特に関東以西は暖かくて、太陽光もふんだんにある。たとえば東北の寒さに対応したエコハウスを名古屋で建てたら、何も加えなくてもパッシブハウスの基準を満たしてしまう。あっという間にエネルギーゼロ住宅が実現できるんです。
たとえば暖房負荷(暖房シーズンに室内に送り込む必要のある熱の総量)を例に見ると、次世代省エネルギー基準が100〜150kWh/㎡。山形エコハウスが20〜30 kWh/㎡、「パッシブハウス」の基準が15kWh/㎡。
こうした違いは、主に外気温や建物の断熱性能、窓からの日射の有効利用などによります。つまり外気温が緩和されれば、断熱材が薄くても同じだけの省エネルギー効果が得られるのです。
竹内さんがこうしたエネルギーと住宅の関係にこだわる背景には、3.11後の社会に対して建築家は何ができるのか、という問いがあります。
竹内:僕は大学で教えるために山形に通っていますが、新幹線で福島県を通過するとき、窓際に置いた線量計がピーピー鳴るんです。それを見ていて、あれを止めるには家を変えればいいんだな、と。電気を使わない家はできる。それが僕のモチベーションです。
森:日本には資源がないとよく言われますが、私は、資源大国だと言い切っていいと思う。バイオマス、太陽光のポテンシャルもある。気候だってヨーロッパに比べたらすごくいい。あとはやる気の問題で、技術的にはもう何も難しいことはない、というレベルなんですよ。
竹内:環境ジャーナリストの村上敦さんは、『キロワットアワー・イズ・マネー』(いしづえ出版、2012年)という本の中で、エネルギーを使うことが地域の富を流出させると言っています。
日本全体でも23兆円分もの化石燃料を外国から買っていて、ドバイに七つ星のホテルが建っている(笑)。だったら地域に回した方がいいと書かれていて、まったくその通りだなと思いますね。
地域でつくったエネルギーは、地域の中で回していけばいい。「経済のことを考えたら原発を動かさないと」という言葉にみんな騙されているだけで、真剣に経済のことを考えたら、原発を止めないと地域がダメになる。そのことに、そろそろ気がついた方がいいと思います。
電気が足りなくて、何百㎞も離れた場所でつくって送ってくるような無理は、もうやめよう。電気を使わなくても今よりもっと楽しい暮らしを発明しよう。社会の変化を促すために私たち消費者一人ひとりにできることして、「エコハウス/パッシブハウスに住む」ことには大きな意味があるのです。
つづく