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第七回|どう響かせるか、どう伝えるか 〜伝え方の話〜(3) / 暮らしかた冒険家 presents OFF-GRID LIFE

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crosstalk
2014.10.06

暮らしかた冒険家 meets

volume 3暮らしかた冒険家×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)音だって未来だって“選べる”

  • Text鈴木 絵美里
  • Photo伊藤 菜衣子, 池田 秀紀

第七回|どう響かせるか、どう伝えるか 〜伝え方の話〜(3)

今回、暮らしかた冒険家が訪ねたのは、バンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマン、ゴッチこと後藤正文さん。音楽のみならず、2011年からは未来を考える新聞『THE FUTURE TIMES』を制作、無料で配布するなど、30代ミュージシャンきってのオピニオンリーダー的な存在です。これまでにも、脱原発の音楽イベント『NO NUKES』の現場などで交流を深めてきた暮らしかた冒険家と後藤さん。自身のライブステージにも太陽光エネルギーを用いている彼とともに、今回は21世紀を担う世代の「豊かさ」や「お金の使い方」、「伝え方」のおはなしをじっくりしてきました。ちなみに取材は、北海道で開催されている『RISING SUN ROCK FESTIVAL「BOHEMIAN GARDEN」に後藤さんがソロで出演された後に行われました。そんなフェス会場の熱も少し帯びたキャッチボール、どうぞお楽しみください。
 

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菜衣子:そうやって教授とも親しくさせてもらっているわけですが、教授は「脱原発と有名になることってあんまり関係無いかもよ」ってここのところよく話されている。でも、たとえば、有名だから何か言ったらものごとが変えられるって世の中の期待とかってあるじゃないですか。震災から3年経って今、後藤さんはそういうこととどのように関わっていますか?

後藤:有名か無名かってことだよね?

菜衣子:そう。たとえばマドンナはアフガン戦争のときに、アルバムのタイトルを『NO WAR』にしたけれど、それ全部発売禁止になったりとか……。世の中が有名だからといって期待を寄せているほど、何かが変わることってあんまり無いのかなあ、とも思っているんですが。

後藤:僕は、そんなに簡単に変わらないと思うなあ。たとえば僕たちとかBRAHMANのTOSHI-LOWさんたちがやっていることを知ってくれている人たちって、もうそれだけで志が高かったりするわけです。本当はその外側に広げてかなきゃいけない。そう考えると、全然伝わってないと思うよ。教授のやっていることとかですら。でもね、決定的に世論を動かせちゃうような人の登場を待っちゃうと、結局裏返しで現政権がやろうとしていることも担保しちゃう、というか。

圧倒的なリーダーを求めてしまうことは、自ずとヒトラーみたいなものを担保するというか。権力を与えすぎたらそれが暴走する可能性だってあるわけだよね。まあ、でも本当に難しいね……。大きな声でいろいろ言わなきゃいけないんだけど…。本当に変わってく人がじわじわ増えてくるのを待つしかない。

菜衣子:「シフトしていく人」を。

後藤:そう、シフトしていく人。挟んだりできないオセロみたいな?いちばん近い人から1枚1枚白くしていくしかない。「はい白ーーー」って大声で言って簡単にひっくり返っちゃうやつとかはさ、また「黒——」って誰かの言葉でひっくり返っちゃったりするから。インスタントじゃない方法でやらなきゃ。でもあとはもう少しみんなが話し合いの場を持つ習慣を作らないといけないよね。そういう場が無さ過ぎるよね? ディベートができないもん

菜衣子:合意形成ができないですよね。AかBかのずっと平行線。AがBにいったら「あいつ寝返ったぞー!」って袋だたきになる。

後藤:あと、あんまり参加もしないしね。そういうのは問題だと思うなあ。結局、最終的には個人的なものに戻るんだと思う。個人の集積だからね。選んだり買ったりっていう、ひとつひとつの選択が変わっていくしかない。
で、さっきも言ったけど、そういうときの動機っていうのは、「おしゃれ」だったり「かっこいい」がいいのかとか、いろいろ考えるけどね…。なんか僕は「恥」みたいな気持ちが、適してるんじゃないかと思う。自分のなかの規範というか、「shame」というような。

菜衣子:ええ。

後藤:僕にとっては「これは恥ずかしいな!」っていうのがあったりするんだよね。できるのに、「できない」って言ってやらなかったりすること、とか。原発ってなんかおかしいよねって思っているのに、それを飲み込んで生きていくことだったりとか…。
たとえば終戦記念日にライブをやっているのに、MCでそのことに一切触れもせずライブを終えることとか。そういう 「わかっているのにやらない」ってことがものすごく恥ずかしい。みんなが少しでもそういう想いを持って生きて行くってことが大切なんじゃないのかな。それって、自分にとっての恥ずかしさでもあるかもしれないけれど、ひとつの時代を生きた人間としての恥ずかしさというか、そもそも「将来どう思われるか」ってことも考えたほうがいいよなって思うんだよね。
自分たちの子ども世代とか、そのまた子どもとか、将来の世代から見られてどうなんだろう、って。たとえば自分の子どもがいたとして「えー、お父さんの時ってこんな大きな事件とか事故があったのに何してたの?」って言われて「いやぁ、よくわかんなくてさ。知らんぷりして、ふわっと見てたよ」なんて言いたくない。

菜衣子:「気付いたら戦争になってた」って、言いますよね、おじいちゃんとかおばあちゃんとか。3.11の後は、ああこれのことかって思いました。気付いた時には……みたいな。

後藤:そういう意味で、抵抗するのはとっても大事だなあ。

つづく